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ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ (7月29日 世界一周188日目) Mostar, Bosnia-Herzegovina
2008-07-31 Thu 21:34
クロアチアのスプリットから足を延ばして、隣国ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにやって来ました。ボスニア・ヘルツェゴビナは、ヨーロッパにありながら人口の約44パーセントがイスラム教徒の国。ここモスタルにも、美しいモスクやオスマン帝国時代からの伝統家屋などがあります。
コスキ・メフメット・パシャ・モスク
(写真:元々は17世紀に作られたコスキ・メフメット・パシャ・モスクの内部)

モスタルで最大の見どころは、町を流れるネレトヴァ川に架かる石橋「スタリ・モスト」。この橋は内戦時に破壊されましたが、2004年にユネスコの協力で復元されて翌年には世界遺産にもなり、今では世界中から観光客が訪れています。
スタリ・モスト
(写真:アーチが美しいスタリ・モスト)

ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、思い出されるのはやはり内戦のこと。1992年の独立宣言に伴って起こったムスリム人(イスラム教徒)、クロアチア人(カトリック)、そしてセルビア人(セルビア正教徒)による三つ巴の戦争によって、3年間で20万人の死者と200万人以上の難民が発生。かつては三者が平和に共存し、異なった民族間の結婚も当たり前だったこの国で起こった内戦は、人々の間に強引に「境界線」を引くことになりました。

今では完全に平和を取り戻したように見えるモスタルの町にも、「境界線」があります。内戦の際、ネレトヴァ川の西側をクロアチア人が支配したことにより、ムスリム人は川の東側に追いやられ、その結果、今では川をはさんでクロアチア人とムスリム人がそれぞれ別に暮らしています。この両地区の「境界線」付近は、内戦時に特に被害が大きかった地域。今でも弾痕が生々しく残る廃墟がたくさん見られました。
内戦の爪痕1

内戦の爪痕2
(写真:内戦の爪痕)

さて、モスタルがあるのは、ムスリム人とクロアチア人が暮らす「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の中。国内にはその他に、セルビア人が暮らす「セルビア人共和国」があります。ちょっと複雑ですが、「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と「セルビア人共和国」この二つを合わせたのが「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という国。ひとつの国なのに、お札のデザインは「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」発行のものと「セルビア人共和国」発行のものがそれぞれあります。
20マルク札
(写真:上がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦発行の20マルク札。下はセルビア人共和国発行のもの。店ではどちらでも問題なく使用できる)

内戦によって生まれた民族間の溝はまだ色々な形で続いていますが、今では多くの観光客も訪れるようになり、復興もかなり進んできたボスニア・ヘルツェゴビナ。最後に、現在モスタル市内を走っている、日本政府からの援助で贈られたバスを紹介します。どのバスにも日の丸と「From the people of Japan」の文字がありました!
日本政府から贈られた黄色いバス
(写真:日本政府から贈られた黄色いバス)

次は、クロアチア最後の目的地ドブロヴニクへ向かいます!
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